クイックメニュー
スレタイ検索

【森友文書改竄】 「森友」と重なる英BBCコメディー「かしこまりました、首相」 風刺コメディーの中で、人は自殺しない とんでも劇場のリアルな怖さ 浜矩子

1擬古牛φ ★
AAS
★「森友」と重なる英BBCコメディー とんでも劇場のリアルな怖さ=浜矩子

 14と300。この二つの数字が、しっかり頭に刻み込まれてしまった。
14件の文書に関して、計300カ所ほどの削除・書き換えがみられた。
学校法人「森友学園」関連決裁文書の改ざん問題である。全く何ということか。
「とんでもない」という言葉を何乗すれば、今、我々の目の当たりで繰り広げられているこの醜態劇のふらちさを表現し尽くすことができるか。

 役所が記録文書を改ざんする。このこと自体のとんでもなさは言うに及ばない。
だが、それもさりながら、問題は、このとんでもない行為が何のために、そして誰のために行われたのかということだ。

 勘定奉行が口走ったことと、実際の経緯とのつじつま合わせのために、実際の経緯に関する記述を書き換えたのか。
それとも、殿様とその奥方を守るためなのか。「余も奥も関係なし」。殿はそう言う。
だが、越後屋は、奥方からお言葉を頂戴したと言っている。疑念は深まる。
関連問題として、勘定奉行の直属の上司である御家老様が、どこまで、この有り様について責任を取るべきなのかというテーマもある。

 とんでもない劇場が次々と繰り出すとんでもない場面を眺めていたら、またしてもあの記憶がよみがえってきた。

 何が「またしても」なのか。「あの記憶」とは、どの記憶なのか。
それは、このような政治絡みの珍事や変事が発生した時、ほぼ間違いなく必ず、思い出すテレビ番組があるからだ。
本欄でも、拙著のいくつかの中でも、言及したことがある。
その番組とは、1980年代の英国で一世を風靡(ふうび)したBBCテレビのコメディー・シリーズ「イエス・ミニスター」(かしこまりました、大臣)と、
その続編「イエス・プライムミニスター」(かしこまりました、首相)である。
政治家と役人の虚々実々の攻防と、奇妙な互助関係。それが実に見事に活写され、辛辣(しんらつ)にやゆされている。
抱腹絶倒の中で、視聴者は政官腐れ縁の構図をこれでもかというほどしっかり理解することができてしまう。

 「かしこまりました、首相」の方に、「国家機密」というエピソードがある。
首相殿が、前任者の回顧録出版を阻止しようとする。その中に、自分が一閣僚だった時の失態の数々が詳述されているからだ。
問題の回顧録草稿について、閣内検討会が開かれる。その場で、首相は出版断固阻止の意向を表明する。

 ほどなく、この検討会の模様をタブロイド紙がすっぱ抜く。どうも、リークがあったらしい。
慌てた首相は、タブロイド紙の編集長をランチに招待する。そして、自分は出版阻止など求めていない、だから暴露記事は撤回してよとお願いする。
編集長は、それなら、例の検討会の議事録をみせろという。驚くべきことに、首相は「いいよ」と言ってしまう。

 ここでがくぜんとしたのが、首相秘書官だ。彼は、この議事録を書かなければいけない。
彼は、首相が出版阻止を叫んだことを知っている。だが、編集長に対して、首相は「言ってない」と明言してしまった。さあ、どうしよう。

 悩める秘書官は、ただちに内閣官房長官の元に駆け込む。そして、苦しい胸の内を吐露する。話を聞いた官房長官は、顔色一つ変えない。
さっさと議事録を書け。首相の意向に沿うように取りまとめればいい。まだ書いてないなら大いに結構。書き換える手間が省けるというわけだ。

 若き秘書官は、そんなの良心の呵責(かしゃく)に耐えられないという。すると、官房長官は激怒する。
役人は、良心の呵責などというぜいたく品に手を出してはいけない。お前がその場で何を聞いて何をどう覚えているかなど、どうでもいい。
議事録に記録されていないことは、誰が何をどう記憶していようといまいと、起こらなかったことである。(続く)

https://mainichi.jp/articles/20180317/ddm/005/070/019000c

続きは>>2-4

2018/03/25(日)14:57:37.85(???)

名前

メール

本文