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八尾市立大正中学校を語るスレ@12段目 組体操

28実習生さん

AAS

NG

教育の現場では正当化されてしまう 



荻上 今後、学校現場ではどのような試みが必要になってくるでしょうか。



内田 まず現場の前に国が動いて欲しいと思います。そこで初めて先生が、自分が何ができるのか考えることができる。そうした丁寧なプロセスが必要だと思います。



木村 また、精神論の前に法律論を考えてほしいです。私は今年1月に現代ビジネスの『これは何かの冗談ですか?』(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47434)という記事で、広島県の道徳教材を扱いました。ここでは、主人公のつよしくんがピラミッドの練習中に転落して骨折してしまいます。
そしてお母さんに「一番つらい思いをしているのはあなたではなくて、バランスを崩してしまった子の方だ。許してあげなさい。」と言われ、つよしくんはその子を許してあげる。素晴らしい道徳ですねというお話なのです。



荻上 何言っているの?という話ですね。



木村 こんなことを道徳で教えるくらいなら、「つよし君が骨折で何を失ったのかみんなで考えてみましょう」という授業の方がよほど大事ですよね。この記事は記録的なアクセスがあったようで、精神論への不信感は相当あるのだと感じました。法律論として、まずは安全配慮義務を果たしているのかが問題です。
果たしていなければ何があってもアウトです。そのような思考を学校に取り入れていかなければ、こうした問題はなかなか解決しないと思います。



荻上 市民社会ではありえないようなことを、教育現場ではやらせる場合も多かったりしますよね。なかには、リスクの高いことを子どものうちに経験して慣れておいた方が良いとおっしゃる方もいます。これは議論を混合してしまっていて、成長した結果リスクに耐える力を身につけさせることはやればいいと思いますが、
単に同じようなリスクを与え続ければいいという話ではないですよね。社会に出て理不尽な思いをするのであれば、社会を変えるような人材にすべきなのであって、理不尽に従順に従う人間になることをゴールとするような教育は問題だと思います。



内田 体罰もそうですが、市民社会では許されないことが教育の現場では正当化されてしまうんですね。2メートル以上の高さで囲いのないところに登る、これは建築現場でもまずあり得ないですよね。教育だからと正当化されてリスクが見えなくなる。これは教育が抱える大きな問題だと思います。



荻上 内田さん、木村さん、今日はありがとうございました。

2019/08/07(水)10:04:20.72(d1tmf3TX.net)

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