>>1初期のフィリピン戦(1941〜1942)における、M3スチュアート戦車と、97式中戦車の体当たり対決を彷彿とさせますよ!
劣勢でも諦めない、ファイティングスピリットに感動しましたね!(^^)
https://ja.wikipedia.org/wiki/M3%E8%BB%BD%E6%88%A6%E8%BB%8A一方の太平洋戦争では開戦時にフィリピンに第192戦車大隊(M3軽戦車54輌)、第194戦車大隊(同53輌)が配備されていた。
この中において1941年12月22日に日本軍がルソン島に上陸した際、これを迎撃に出たM3軽戦車15輌は戦車第4連隊第2中隊第1小隊所属の九五式軽戦車と戦闘を行っている。
M3の正面装甲は九五式軽戦車の37 mm 砲を全て跳ね返したが、被弾炎上、履帯切断、敵小隊長車による体当たり等により5輌が行動不能となり撃退された。
なおこれが日米初の戦車戦であるとされる。
その後空襲などにより損害が増えつつあった両戦車大隊はバターンに後退して再び戦車部隊として再編成、1942年4月8日まで歩兵部隊と共にバターン半島の死守し、第一次バターン半島攻略戦では日本軍の攻略を食い止めた。
続いて第二次バターン半島攻略戦において、戦車第7連隊 臨時松岡中隊所属の一式四十七粍戦車砲を搭載した九七式中戦車改と交戦しており、松岡中隊側の戦闘詳報によれば航空支援との共同で3輌のM3軽戦車を撃破、臨時松岡中隊側には損害無しと表記されてある。
結果としてはフィリピン方面では制空権、制海権を奪われ、第二線、第三線の防衛ラインが突破されたこともあり両大隊は残存車輛を全て破壊した上で降伏した。
また、1942年2月にビルマ(当時)のラングーンをめぐる戦いではイギリス第7機甲旅団隷下王立第2戦車連隊所属のM3軽戦車(総数約115輌、又は150輌)が歩兵の火力支援などで活躍した。
その中で華々しい活躍はラングーンの北東80 km に位置するペグー付近では十数輌のM3が戦車第2連隊軽戦車中隊所属の九五式軽戦車4輌を1,500 mの距離から撃破している。
一方、同じくビルマの戦いの1942年4月27〜28日の戦闘では戦車第1連隊の九七式中戦車と交戦するが、榴弾による遠距離からの集中攻撃を受けて5輌のM3軽戦車が撃破されている。
なお日本軍側の損害は九七式中戦車1輌が被弾貫通により走行装置が破損、乗員死傷無しと戦闘詳報に記載されている。
ただし第7機甲旅団の活躍をもってしても日本軍の進撃を食い止めることはできず、1942年5月には第7機甲旅団は戦車を破壊し、チドウィン川を越えてラングーンから脱出し同市は日本軍の手に落ちている。
青葉真司も、また、男だったのです!(^^)wwwwwwwwww
京アニ放火殺人事件容疑者に主治医・上田敬博が伝えたこと「俺はおまえに向き合う。絶対に逃げるな」
>4/29(木) 6:00配信
>1655
https://news.yahoo.co.jp/articles/c23df430ad639ed9d2b7a9b7d220f3a9f4652226https://twitter.com/Sankei_news/status/1386947522485100545ニュース
昨日
池袋暴走事故 初の被告人質問「アクセルを踏んでいないのに加速」
>2019年4月、東京・池袋で乗用車が暴走し2人が死亡、9人が重軽傷を負った事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた飯塚幸三被告の初の被告人質問が27日、東京地裁で開かれました。
飯塚被告は、「アクセルを踏んでいないのに加速した」と述べ、自身に過失はないとの認識を示しました。
@Sankei_newsさんからの画像
飯塚幸三被告が「踏み間違えていない」かどうかは「イベントデータレコーダー」を解析すればわかる〜池袋暴走事故
>4/28(水) 11:35配信
>1476
https://news.yahoo.co.jp/articles/cabfc1ece91ac45c1d331c1bde524ca6e6ea7327飯田)今後も審理は続くと思いますけれども、弁護人側も、ご本人がこうなってしまうともう止めようもないということでしょうか?
高橋)止めようがなくなってしまっているのでしょうね。ブレーキを踏んでいたかアクセルを踏んでいたかというのは、EDRでわかるのです。故障系統がなかったというのも、その後、全部チェックされているわけです。
普通は弁護人が、「それは間違いだ」ということを言うと思いますが、それでも聞かないということでしょう。
飯田)裁判官の心証も悪くなる。
高橋)それでもいいと言っているのでしょうね。